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東京地方裁判所 平成5年(ワ)14745号 判決 1994年10月27日

主文

一  被告は、原告に対し、金五六〇万円及びこれに対する平成三年一一月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の主位的請求並びにその余の予備的請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

一  主位的請求

被告は、原告に対し、金二四〇〇万円及びこれに対する平成五年八月一二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  予備的請求

被告は、原告に対し、金八〇〇万円及びこれに対する平成三年一一月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、自社株の店頭公開を予定していた被告の当時の代表取締役副社長である丙川春子(以下「春子」という。)の勧誘により、店頭公開後に三倍にして返還するとの約束の下に店頭公開準備資金として八〇〇万円を被告に預託したとして、被告に対し、主位的に、預託金運用委託契約に基づき二四〇〇万円の支払を求め、予備的に、代表取締役の職務執行上の不法行為を理由に八〇〇万円の損害賠償を求めている事案である。

一  基礎となる事実(証拠を掲げた部分以外は、当事者間に争いがない。)

1  被告は、昭和三五年四月二七日、飲食店の営業等を目的として設立された株式会社であり、甲野太郎(以下「甲野」という。)が代表取締役に就任し、首都圏において居酒屋チェーン店「乙田」を主体に営業している。

2  被告は、設立時において、発行済株式総数三八八万株(一株額面五〇円)、資本金五億四四五〇万円であつたが、平成四年七月二〇日に増資して、発行済株式総数四六二万株、資本金一一億一〇六〇万円となり、その際、同社の株式を店頭公開した。

3  丙川春子(以下「春子」という。)は、文壇人、財界人らが集うことで知られた銀座の著名クラブ「眉」でホステスをし、出版関係者、財界有力者らに広い人脈を有していたところ、昭和五八年六月二三日甲野と婚姻し、平成元年九月二七日被告の取締役に就任した後、平成二年六月二七日には被告の代表取締役副社長に就任したが、店頭公開の翌日である平成四年七月二一日、代表取締役を退任し、同年一〇月一六日甲野と離婚した。

4  原告は、株式会社講談社に勤務し、クラブ「眉」に出入りして、春子と面識があつたが、同人が甲野の妻となり、被告の代表取締役副社長の地位にあつた平成三年一一月一四日、春子の勧誘に応じ、店頭公開の準備資金名下に、同人の指示した第一勧業銀行恵比寿支店の甲野太郎名義の普通預金口座(以下「本件預金口座」という。)に八〇〇万円を振込送金(以下「本件送金」という。)した。

二  争点

1  預託金運用委託契約とその効力

(一) 原告の主張

原告は、平成三年一一月一四日、被告の当時の代表取締役である春子との間で、原告が被告の株式店頭公開の準備資金として八〇〇万円を被告に預託し、被告においてこれを運用した上、店頭公開から相当期間経過後に預託金額の三倍に相当する二四〇〇万円を返還する旨の預託金運用委託契約(以下「本件契約」という。)を締結し、右契約に基づいて本件送金をし、もつて被告に対し八〇〇万円を預託した。

(二) 被告の主張

仮に、原告主張のような本件契約が締結されたとしても、本件預金口座は春子が甲野の氏名を冒用して開設した個人的な銀行預金口座であり、被告が本件送金に係る金員を受領したわけではないから、本件契約は消費寄託における要物性の要件を欠く。のみならず、本件契約の内容それ自体が、実質的に自己株式の取得、暴利行為ないしインサイダー取引に当たり、公序良俗に違反するものであつて、その締結行為は株式会社の目的の範囲外である。仮に、会社の目的の範囲内であるとしても、春子は被告の代表取締役としての実質的権限を有していないから、本件契約の締結行為は、その職務行為に属さず、春子が代表取締役の権限を濫用して個人的利益のためにしたものであり、かつ、原告は春子の濫用の意図を知り得べきであつたから、本件契約は被告に対して効力を生じない。

(三) 原告の反論

本件契約は、春子が被告の代表取締役であることを明示し、かつ、会社業務用の資金調達の一環として被告のために行うことを明示して契約内容を合意し、原告も被告との契約であることを確信して締結したものである。春子は、本件契約の締結に先立ち、被告の会社概要、決算書類等を従業員に持参させるなどして名実とも被告の代表取締役の職務行為を行つていた。本件契約の内容は、実質的にも自己株式の取得やインサイダー取引には該当せず、預託金額の三倍という返還約束も、巨額の創業者利益を産み出す株式店頭公開という背景事情の下では相当性を失うものではなく、被告の方から勧誘したものであるから、暴利行為にも当たらない。仮に、春子による代表取締役の権限濫用行為に当たるとしても、原告が右濫用の意図を知らず本件契約の相手方は被告であると信じたことに過失はない。

2  被告の不法行為責任

(一) 原告の主張

仮に、被告に対して本件契約の効力が生じないとしても、春子が被告の代表取締役の職務行為として締結したものであるところ、その内容は被告の店頭公開から相当期間経過後も履行されず、春子が店頭公開の翌日に代表取締役を退任し、甲野と離婚して行方不明になり、原告は本件送金に係る八〇〇万円の回収不能による同額の損害を被つたから、被告は、原告に対し、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項に基づき、不法行為による損害賠償責任を免れない。

(二) 被告の主張

株式の店頭公開に要する資金としては小額の手続費用くらいであつて、店頭公開の直前に取引関係もない一個人から多額高利の資金を導入する必要はなく、本件契約は元クラブホステスと客との個人的な関係に基づく詐欺的な儲け話にすぎないから、原告は、当初から不審を抱き、春子以外の被告の責任者に直接照会確認すべきであつた。したがつて、春子のした本件契約の締結行為が実際には代表取締役の職務行為に属さないことを原告が知らなかつたとしても、そのことに重大な過失があるから、被告は損害賠償責任を負わない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件契約とその効力)について

1  前記基礎となる事実と《証拠略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 被告は、昭和三五年四月二七日、飲食店の営業等を目的として設立された株式会社であり、甲野が代表取締役に就任し、首都圏おいて居酒屋チェーン店「乙田」を主体とする営業を展開して現在に至つているが、株式の店頭公開前において、発行済株式総数三八八万株のうち、甲野が六二パーセント余を所有し、その余は株式会社ダイエーが約一〇パーセント、金融機関等が各数パーセントを保有していた。

(二) 春子は、文壇人、財界人らが集うことで知られた銀座の著名クラブ「眉」でホステスをし、出版関係者、財界有力者らに広い人脈を有していたところ、昭和五八年六月二三日に甲野と婚姻してホステスを辞め、同年一一月被告の商品開発部長になり、平成元年九月二七日取締役に就任した後、平成二年六月二七日には甲野の実弟の甲野松夫とともに代表取締役(各自代表)副社長、営業推進本部担当に就任し、被告が新たに計画した高級割烹の責任者等の業務を行つていた。

(三) 被告の営業収益は、平成元年六月決算期において約三八億五五〇〇万円、平成二年六月決算期において約四九億二〇〇〇万円、平成三年六月決算期において約六二億八〇〇〇万円と順調に増大し、この間に経常利益も三・七倍(平成三年六月決算期において七億四〇〇〇万円)の伸びを示し、直営チェーン店を二六店舗擁するまでになつたところ、被告は、遅くとも平成二年夏ころまでの間に、増資及び株式の店頭公開を実施する計画を立て、その準備を進めていた。

(四) 原告は、大手出版社である株式会社講談社に勤務して文芸局次長、第一編集局長、編集総務局長、資料センター室長等を歴任し、この間に、編集者としての業務上、クラブ「眉」に出入りして、当時ホステスをしていた春子と面識があつたが、平成三年八月下旬ころ、たまたま春子と再会した際、同人から被告の代表取締役の肩書付きの名刺を渡され、被告は同年暮れころに増資及び株式の店頭公開を予定し、その準備資金の資金繰りを担当している。そのための資金を預託して欲しい、店頭公開すれば被告の株式は三倍に高騰するので預託金は店頭公開から相当期間経過後に三倍にして返還する旨の投資勧誘を受けた。

(五) 原告は、当初は聞き流していたが、その数日後、勤務先に電話を受けて再度勧誘され、同年一〇月末ころ、春子は、原告の判断資料に供するため、被告営業推進本部営業企画部主任山倉潤なる名刺を持つた使者を派遣して、平成二年一月現在の被告の資本金、総売上額、役員等を記載した会社概要、直前二期決算報告書、平成三年六月決算期の営業報告書を添付した同年九月二六日開催予定の定時株主総会招集通知を原告に交付した。右会社概要には、被告代表取締役副社長営業企画本部担当の肩書を付した春子の正規の名刺がホッチキスで留められ、その裏面には電話をして欲しい旨と電話番号がメモ書きされていた。

(六) 原告は、かつて株式取引を一回行つたことがある程度で投資経験は乏しく、春子の話がかなり有利な投資であることに関心を持つ余り、準備資金の具体的使途の説明を求めなかつたところ、平成三年一一月一二日、春子から被告に関する東京商工リサーチ企業情報を取り寄せ、春子が被告の代表取締役副社長であり、被告の営業実績も順調に伸長し、「乙田」を主体に積極的な出店展開を続け、事業概況も順調に推移していることを確認したため、春子の勧誘に応ずることとし、同年一一月一四日、春子にその旨伝え、同人の指示した甲野太郎名義の本件預金口座宛に自己資金八〇〇万円を甲野本人名義で振込送金した。同年一一月一九日、被告の業務用封筒に入れられた被告代表取締役甲野春子名義の八〇〇万円の預り証が原告宛に郵送されたが、右預り証は手書きであり、受取欄には捺印がなく、消印、割印及び訂正印がいずれも相違している。

(七) その後、春子は、原告に対し、株式公開は当初の予定より遅れることになつたが、公開後は速やかに二四〇〇万円を返還する旨の連絡を数回にわたつて行い、平成四年三月九日ころ、預託金の返還用に春子名義の新規開設の預金通帳及び銀行届出印を押捺した払戻請求書用紙四通を郵送した。被告は、同年七月二〇日、発行済株式総数四六二万株、資本金一一億一〇六〇万円に増資するとともに、株式の店頭登録をして株式の公開を実施したが、春子は、その翌二一日、被告の代表取締役を退任し、原告から再三にわたつて督促を受けながら預託金の返還を行わず、同年一〇月一六日には甲野と離婚して同人と別居し、その後、原告との連絡も断つに至つた。

2  右認定事実に基づいて考察するに、原告は、平成三年一一月一四日、被告の当時の代表取締役である春子との間で、原告が被告の株式店頭公開の準備資金として八〇〇万円を被告に預託し、被告においてこれを運用した上、店頭公開から相当期間経過後に預託金額の三倍に相当する二四〇〇万円を返還する旨の本件契約を締結し、右契約に基づいて八〇〇万円の本件送金をしたことが明らかである。そして、右の当時、被告では株式の店頭公開の準備を進めており、現に、右契約締結後の平成四年七月二〇日には株式の店頭登録をして株式の公開を実施しているのであるから、春子が代表取締役の立場であることを明示してした本件契約の締結行為は、会社の目的の範囲内の行為であり、外形上、被告の代表取締役の職務行為に属するものといわざるを得ない。被告は、本件契約の内容それ自体が、実質的に自己株式の取得、暴利行為ないしインサイダー取引に当たり、公序良俗に違反するものであつて、その締結行為は株式会社の目的の範囲外であり、また、春子は被告の代表取締役としての実質的権限を有しないから、その職務行為に属さない旨主張するが、行為の客観的な性質に即し、抽象的に判断する限り、会社の目的の範囲内の行為であると見て妨げはないし、また、代表取締役の職務行為に属するか否かは、行為の外形により判断すべきものであるから、被告の右主張は採用の限りではない。

しかしながら、株式会社の代表取締役が外形上会社の代表者として法律行為をした場合であつても、それが代表取締役個人の利益を図るため、その権限を濫用してされたものであり、かつ、相手方が代表取締役の濫用の意図を知り又は知り得べきであつたときは、右法律行為は会社につき効力を生じないものというべきである(最高裁昭和三八年九月五日第一小法廷判決・民集一七巻八号九〇九頁、同昭和五一年一一月二六日第二小法廷判決・裁判集民事一一九号二六五頁参照)。これを本件についてみるに、被告において本件送金に係る金員を受領し、これを自社の株式店頭公開の準備資金等の用途に充てたことを認めるに足りる証拠はないから、春子は、被告の代表取締役の権限を濫用し、個人の利益を図るため、原告との間で本件契約を締結したものといわなければならない。ところで、未公開株式会社の株式が財団法人日本証券業協会制定の「店頭売買銘柄の登録及び値段の発表に関する規則」(公正慣習規則二号)及び同細則の定める基準により非上場の店頭登録銘柄として登録され株式が公開されると、株式の知名度及び流通性が高まり、多かれ少なかれ株価の値上がりがもたらされる場合のあることは公知の事実であるが、前記認定事実に照らすと、本件契約は、被告の株式の店頭公開により株価が三倍に高騰することを前提に、その準備資金という名目で金銭を預託し、これを店頭公開から相当期間経過後に三倍(株価上昇率と同一)にして返還することを内容とするものである。株式の店頭登録は、前記規則の定めるところにより、幹事証券会社及び日本証券業協会による適格性審査等の厳格な手続を経て実施されるものであるが、その準備段階において、会社が公開後の株式関係を整えて特定の者の支配権を維持するなどの目的で一般投資家から資金を導入することが実際上あり得るとしても、本件契約は、不確定要因が多く定量的予測が容易ではない株価上昇に連動させた短期高率の投資を内容とするものであつて、一般投資家としてはその特異性に留意すべきであつた。しかし、原告は、投資経験に乏しく、本件の投資内容の有利性に関心を持つ余り、準備資金の具体的使途の説明を受けず、春子から提供された被告の会社概要、決算報告書、定時株主総会招集通知等の内部資料や民間の企業情報を確認する以上に格別の調査をすることなく、勧誘に応じたものである。大手出版社に勤務する管理職社員である原告とすれば、自己資金八〇〇万円を投資するものである以上、元クラブホステスで旧知の春子と再会後いささか唐突に持ち出された儲け話であること、本件契約に係る契約書等は作成されておらず、本件送金の振込先として指示された本件預金口座は被告のものではなく振込名義人も甲野個人とするよう指示されたこと、預り証はその様式及び内容から見て被告発行の正規のものとは考えられず、預託金返還用に春子名義の新規通帳と払戻請求書が送付されたことなど、会社が資金調達として行う通常の業務執行の方法としては不自然な点のあることを疑つてしかるべきであつた。こうした点にかんがみると、原告は、本件契約の締結に当たり、春子が代表取締役の権限を濫用し、個人の利益を図るためにする意図を有している事情を知り得べきであつたというべきであり、本件契約は被告に対して効力を生じないものといわなければならない。

二  争点2(被告の不法行為責任)について

1  前示の認定及び判断によれば、本件契約は、春子が被告の代表取締役の権限を濫用して締結したものではあつても、外形上、被告の代表取締役の職務行為に属するところ、右契約の内容は被告の店頭公開から相当期間経過後も履行されないまま、春子が店頭公開の翌日に代表取締役を退任し、甲野と離婚して連絡を断つたため、原告は本件送金に係る八〇〇万円が回収不能となり、これにより同額の損害を被つたものというべきである。そうすると、被告は、特段の事情がない限り、原告に対し、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項に基づき、不法行為による損害賠償責任を免れない。

2  ところで、被告は、春子のした本件契約の締結行為が実際には代表取締役の職務行為に属さないことを原告が知らなかつたことに重大な過失があるから、被告は不法行為による損害賠償責任を負わない旨主張する。株式会社の代表取締役がした権限濫用行為が外形上その職務行為に属するものと認められる場合であつても、相手方がその職務行為に属さないことを知り又は知らないことに重大な過失のあるときは、会社は相手方に対し不法行為による損害賠償責任を負わないところ(最高裁昭和五〇年七月一四日第二小法廷判決・民集二九巻六号一〇一二頁)、ここにいう重大な過失とは、一般に要求される注意義務に著しく違反して、故意に準ずる程度の注意の欠缺があり、公平の見地上、相手方に全く保護を与えないことが相当と認められる状態をいうものと解するのが相当である(最高裁昭和四四年一一月二一日判決・民集二三巻一一号二〇九七頁参照)。本件において、原告が、本件契約の締結に当たり、春子が代表取締役の権限を濫用し、個人の利益を図るためにするという意図を知り得べきであつたことは、前示のとおりであり、原告には過失があつたものといわざるを得ないが、前記認定事実、ことに、本件契約の当時、被告において株式の店頭公開の準備を進めていたという客観的な状況があつたこと、春子はその準備のための資金調達を担当していることを明示して勧誘し、店頭公開の裏付けとなる被告の役員・資本構成、決算報告、営業実績等に関する内部資料及び民間の企業情報も提供していること、春子が被告の創業者でありオーナー経営者である甲野の妻であつて、甲野とともに被告の代表取締役(各自代表)の地位にあり、取引の相手方が春子の行動を甲野のそれと一体のものとしてとらえたとしても無理からぬ事情が存在したことなどにかんがみると、未だ、原告に前示のような重大な過失があるものということはできない。したがつて、被告の右主張は採用することができないが、以上のような事実関係の下においては、被告の損害賠償額の算定に当たり原告の過失を斟酌すべきところ、本件に現れた諸般の事情を総合考慮すると、三割の過失相殺をするのが相当であるから、被告の賠償すべき額は五六〇万円となる。

第四  結論

以上の次第で、原告の主位的請求は理由がないから棄却し、予備的請求は、被告に対し、五六〇万円及びこれに対する不法行為の日である平成三年一一月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが、その余は失当として棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 篠原勝美)

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